近年は平均寿命が伸びて男女共に80歳を超えています。しかしながら健康寿命はそれより10歳近く短いので80歳に近づくと元気に街中を動き回る高齢者が減ってくるようです。自宅内の生活や施設入所が増えてくるので友人、知人との交流も電話、メールや手紙など中心に変わってくるようです。
その代わり、気心の知れた、仲の良い友人、知人だと遠方に離れて暮らしていてもズームなどを利用したパソコン画面で顔を合わせて交流できます。そこで、親友中の親友といわれる人が一人か二人残っていれば亡くなる直前まで画面上で顔を合わせた会話が続くわけです。
ところが、このように親密な関係を続けていた親友が突然亡くなると居ても立っても居られない心境になり、遠方でも葬儀には馳せ参じたい心境になるようです。一方で、最近、葬儀は概ね簡素化されて、家族だけでそっと行うケースが多くなっています。
ましてや、平均寿命を全うして亡くなった人の場合、周辺に住む少人数の近親者だけ集まって1日葬などで済まそうとします。ところが、無二の親友のような立場の人が体の自由がきかなくてもこの訃報に接すればどんなに遠方で暮らしていても参列を希ってきます。
最近はやりのリモート葬儀でも納得しないでしょう。こうして、喪主は少人数の家族葬で済ます積りでも故人が生前に深い情愛でつながっていた友人の存在を知り、簡素化して終わらせようとした考えを反省するわけです。体中がよれよれになっても遠路はるばる参列を希望する気持ちの友人から冠婚葬祭に対するマナーを学び直したといえるようです。